ロートルサッカー審判よもやま話

審判目線からのサッカーの話

2017-01-01から1年間の記事一覧

審判になったきっかけ

文:ロベルト島 高校でも少しサッカーをやってました。 県の地区大会では優勝もしたことがありますが、一つ下の学年が結構強く、夏の総体の 県代表にもなるくらいでしたのでちょっと肩身が狭かったです。

イエロー・レッドカードの導入

文:ロベルト島 1970年メキシコW杯での初めてシリーズ… サッカーがサッカーになったのは、競技規則の制定された1863年と言われている。 審判にとっても重要な年である。まだ日本では明治にもなってないのだから大した もんだ。このころのイギリスは…

三菱ダイヤモンドサッカー

文:ロベルト島 中学2年生だった。 なぜ見たのか思い出せない。今と違って真面目な中学生で勉強にうるさい家 だったので、よほど見たいと親に頼み込んだのだと思う。 たいがいの家でもテレビは居間に1台の時代だったはずだ。

キックオフ!

文:ロベルト島 長年サッカーに関わって生きてきました。 プレーヤーであり、コーチであり、監督であり、審判であり… いろんな事がありました。これからもあるでしょう… そんなこんなで思いついたことを勝手に書き始めたいと思います。

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はじめに

1960年代の日本では、サッカーは全くメジャーなスポーツではありませんでした。 ただし、グラーバルに見ればFIFA加盟国は、国際連合参加国を上回る国と地域から 参加し、競技参加者の数は地球で1番のスポーツであります。 ● あれから60年近く経ち、日…