三菱ダイヤモンドサッカー
文:ロベルト島
中学2年生だった。
なぜ見たのか思い出せない。今と違って真面目な中学生で勉強にうるさい家
だったので、よほど見たいと親に頼み込んだのだと思う。
たいがいの家でもテレビは居間に1台の時代だったはずだ。
1.第一回放送
私の記憶が正ければ… タイトルが「三菱ダイヤモンドサッカー」となって
第一回目の放送だった。10月上旬の火曜日22:10始まりかな~?
1970年メキシコW杯決勝戦ブラジルーイタリアの前半だった。
アステカスタジアムの何とでかいことか。サッカー観戦にこれだけの人が集まるのか~
ブラジル:カルロスアルベルトとイタリア:ファケッティの握手から始まる。
解説は、亡くなった岡野俊一郎氏と金子アナウンサー。今のうるさい解説と違って
冷静でたんたんとした解説だった。まあそれもそうだろう、実は試合はその年の6月21日に既に行われていた。
ただテレビのこちら側は、初めて見る海外のサッカーがW杯の決勝、まさしく異文化
との遭遇で異常に興奮したことを覚えている。
2.1970年メキシコW杯
この大会は、W杯史上非常にエポック的な大会だったことが分かる。
初めてのことが非常に多い。
・欧州、南米以外での開催
・高地での開催
・カラーでのテレビ放送
・アディダス提供の黒白亀甲32枚貼りボールの導入(テルスター)
・イエロー(警告)、レッド(退場)カードの導入
・途中給水OK(アウトオブプレー中)
・選手交代2名
今では当たり前のことも当時は画期的で先駆的であったようだ。
その後これらのことを踏まえ、継続・発展することでよりサッカーが面白く
なっている。
もともとW杯が、欧州と南米でどっちが強い?から始まってるから
当然4年に1回交代で開催してきたようだ。一生懸命尽力した人がフランスの
ジュール・リメさんなんで初代トロフィーはジュールリメ杯と呼ばれてた。
3回優勝した国が永久保持する約束で始まった。1970年のブラジルが
3回目の優勝を果たし持ち帰る。後に盗難にあって未だ見つかっていない。
欧州・南米以外でしかも高地での開催、欧州のテレビ放映時間に合わせ
夏のメキシコの日中に試合をするというなんたる暴挙。この対策で水分補給や
2名の選手交代が生まれることになる。面白いもんだ。
また、全試合カラー放送になってボールもテレビ映えするように黒白亀甲模様の
アディダス社テルスターが登場。実はこの32枚貼りボールは当時球体に近く
日本人の考案と聞く。この後のW杯毎にアディダス社の戦略的ボール提供は
続く。2018年W杯では、このリメイクデザインのテルスター18が使用され
ることになってる。
こういう背景でメキシコW杯が開催された。続く…
文:ロベルト島
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